2009/3/11

奈良から始まるリアル「サカつく」物語

奈良クラブ 矢部次郎さん インタビュー

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 読者のみなさんは「プロサッカークラブをつくろう」というテレビゲームを御存じであろうか?自分でクラブを設立、マネジメントし、選手を集め、コーチ、監督もこなし、自らもプレーするゲームである。あの世界を奈良県で体現している人がいる。今回お話を聞かせていただいた矢部次郎さんである。

 矢部さんは、奈良育英高校を出てから、J1の名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)、J2のサガン鳥栖、JFLのアルテ高崎を経て、故郷である奈良県に戻り、2008年4月に、Jリーグ参入を目指す「奈良クラブ」というサッカークラブを設立した。

 奈良クラブは今年の1月に関西府県リーグで優勝し、来季は関西リーグ2部で戦う。現在進行形で進んでいる、リアル「サカつく」物語を聞いてみた。

 

 
>>奈良に夢を 子どもたちに未来を

 

―まず、奈良クラブを設立した背景からお聞きしたいと思います。

 そうですね。まず自分が地元でプレーしたかったっていうのがあって、ずっとそういうチームがないのかって思っていたんですけどなかなかなくて。そこで、無いなら作っちゃおうか!みたいな感じで作りました。

 あとは僕自身、いろんなクラブを回ったり、アウェイゲームで全国各地に行ってて、そこでは地元の子どもたちとのふれあいっていうのがあるんですけど、奈良にはそういうのが無くて…。それは子どもたちが可哀そうやなと。やっぱり実際に子どもたちが選手らと直にふれあったり、プレーを見ることでサッカーに親しんでもらうということが大事やと思うし、子どもたちには将来の可能性がいっぱいあるので、そういうところで子どもたちにいいものを与えてあげたいっていう想いはありますね。

 やっぱり子どもは大人を見て育つ部分あるし、子どもたちが知らない世界っていうのがあるので、そういうのを見せてあげたい。いろんな選手の話を聞いても、地元にクラブがあったからプロになれたっていう選手もいるし、そういう選手に憧れていたからプロを目指せたっていうのもありますしね。

 

―なぜ“奈良クラブ”というネーミングに…?

 ここはもともと“都南(となん)クラブ”っていうクラブだったんですけど、僕としては愛称的なのは付けたくなかったんです。それはアメリカの文化やっていうことを聞いて。その一方、ヨーロッパとかのクラブはみんな地域の名前だということ。例えば、“ガンバ”やったら“大阪”って言わないじゃないですか?それはセレッソとガンバがあるからなんですけど。どこの地域でも、(川崎)フロンターレとか、ジュビロ(磐田)とかって。最近は地域名も出てると思うんですけど、“奈良クラブ”って言ったらもう、“奈良”っていう名前を口で発するじゃないですか。普段から“奈良クラブ”、“奈良クラブ”…“奈良”っていうことをみんながイメージすることが大事だし、余計なことは省いたっていう感じですね。

 

―奈良クラブの設立にあたって、今の選手はどういう風に集めたんですか?

  2007年に国体の奈良県選抜の監督をしたんですよ。その時、僕は所属が無くてケガもしていたんで、監督という立場で奈良県のためにと思って色々やって。で、県リーグとかいろんな試合を観に行って、選手を集めて選抜チームを作って大会に出たんです。その時に色々見て回った選手が、都南クラブが奈良クラブとなって、サッカー環境、練習環境も良くなっていくと共に、徐々に来てくれたっていう感じですね。あとは、そういう情報を調べて自分から来てくれた人もいますし。

 

>>支えてくれる人の存在

 

―柳本(啓成)さんが経営している「YANAGI FIELD」を練習場として使わせていただいているという話を聞いたのですが、柳本さんと奈良クラブの関わりは深いのでしょうか?

※ 柳本啓成(やなぎもと ひろしげ):元サッカー日本代表のディフェンダー。奈良育英高校から、奈良県出身初のJリーガーとして、サンフレッチェ広島、ガンバ大阪、セレッソ大阪を渡り歩いた。06年に引退後、故郷の奈良県でフットサル場「YANAGI FIELD」を経営している。

 そうですね。高校の先輩でもある柳本さんが、現役を引退してから地元奈良のサッカー環境を良くしたいっていうことで帰ってきたんです。その時、僕はいろんな現状を観ていたので、奈良のサッカーは今遅れているっていうことをお話して、お互いサッカー環境を良くしていきたいっていうことで意気投合しました。そこで、誰でも親しめるようにフットサル場を作ってスクールをやったりとか、そういうことを考えて。最初の土地探しからずっと携わっていたので、ほんと一緒に立ち上げたっていう感じですね。

 

―ジュニアチームがあると聞いたんですけども。

 それもまた別組織ではあるんですけど、YANAGI FIELDと奈良クラブとが組んで、YF奈良クラブ、YANAGI FIELD奈良クラブみたいな感じでチームがあるんです。その子どもたちは奈良クラブを見て憧れて、そこを目指せるような形に。Jリーグの下部組織のような形をちょっと作ったというか。そういう風な感じですかね。

 

―では、そこのスクール生と、奈良クラブの選手との交流があるわけですね。

 そうですね。練習の時に顔を合わせたり、選手たちが練習に混じったりとかよくしてくれるような関係なので。子どもたちも奈良クラブの応援に来てくれますし。

 

―サポーターの存在というのはどう感じますか?

 やっぱり心強いですね。それに、彼らもまた、奈良に応援できるチームを求めていたんです。サポーターの代表も奈良出身なんだけども、応援するチームが無いから他のクラブを応援していて、奈良に応援するクラブができて嬉しいっていうことで応援していただいていますね。

 

―もっと人数が増えてくれるといいなという想いはありますか?

 そうですね。でも、そこらへんはサポーターの人らに任せて、僕らはプレーで彼らの気持ちに応えていきたいですね。あとはまあ、常に関係も近いんで、色々意見を聞いたりしていますね。

 

>>まず、多くの人に奈良クラブを知ってもらうことが一歩

 

―奈良クラブの近い目標というのをお聞かせください。

 とりあえず今年に関しては関西リーグ1部に昇格すること。それから、天皇杯や全国大会といったトーナメントで勝って、上位のチーム、理想を言えばJリーグのチームと対戦したいっていう感じですね。あとは、試合結果以外にも奈良に奈良クラブがあるっていうことを多くの方に、(奈良)県民に知っていただくことが今年の目標ですね。まあ、まだサッカー関係の人にしか知られていないっていう現状なんで、はい。

 

―では、これからの中・長期的な目標というのは?

 まあ、やっぱり不景気ですし、Jを目指すといっても難しい問題があるので。まずは奈良クラブの存在を知ってもらって、市民県民、みんなの心を動かして、いずれスタジアムであったり、プロ化であったり、そういうことができればなっていう感じです。ほんとにまあ、1年1年ですね。

 

―矢部さんはプロサッカー選手だったということで、プロスポーツが人々に与える影響というのを肌で感じていたと思うんですけど、改めて、奈良にそのプロを作ろうとした理由というのは?

 やっぱり、ほんとにレベルの高いところ、そのスポーツでメシを食うっていうことがいかに素晴らしいことであるか、しんどいことであるか。その人らがするプレーがいかに感動を与えるかっていうのを、県民の人たちに知ってもらいたいですね。

 スポーツに対する意識が疎い県ですから、そういうことでスポーツ人口も広がると思います。今、奈良県は全国で一番運動神経が悪いっていう数値が出ているので、そういうことも改善されていくやろし。

 

―そういう現状もあるんですね。

 はい。ほんとにドベからのスタートという感じなので、まだまだこれからですね。僕自身、今までずっとプロ契約をしていたのですが、1年1年の契約だったので、何年後とか見据えてトレーニングとかもできなかったし、来年の今頃はどうなっているかわからないっていう状況だったので、将来的なことも全然考えられなかったんですよ。

 まあ、今回、初めて長期的な目標というか、サッカーという自分の得意なこと好きなことで大きい目標を成し遂げたいなという感じですね。

 

>>とにかく自分で動くということ

 

―今現在、クラブの運営はどういう形なんですか。

 (クラブの)代表の人と一緒にやっているんですけど、僕の方が時間があるので、ホームページを作ったりとか、いろんな人の話を聞いたりとか、そういうことはやっていますね。まあ、僕自身、プロ選手の時に広報活動とか手伝ったり、社会貢献活動とか色々やっていたので、そういうことが今になって活きていますね。

 (奈良に)帰ってきた時は、高校の恩師、中学の恩師くらいしか連絡先も知らなかったんです。 10 年間離れていたので、今、どの先生がどこにいるとか全然わからないし、昔の指導者は辞めてはる人もいるし、誰がどこにいるかもわからない状況で。だから、とりあえず最初は車にスパイクとボールを乗せて、小学校とかの近くを通ってグラウンドでサッカーをしていたら、「矢部ですー。ちょっと一緒にやらせてください。」って。そこから始めましたね。そこでいろんな情報をもらったりしました。

 誰も知り合いがいなかったので、まず何かしないと、と思って。そうしてちょいちょいやっていましたね(笑)。

 

―やっぱり現場で動くということが本当に大事なんですね。

 そうですね。ましてや、むこうも僕の連絡先を知らないし、とにかく自分から動いてっていう感じで。やっぱり、そういう部分は本当に忘れたらあかんと思うし、奈良クラブが大きくなっても、こういう地域の人たちと関わったり、子どもたちと関わることは絶対忘れたらあかんなと思ってますね。

 

―今、クラブではプレーヤーをやりつつコーチも務められていますが、指導者という立場で、技術以外で一番注意されていることはなんですか?

 はっきり言って、今まではちょっと厳しくすると練習に来ないとか、そういうレベルだったんですよ(笑)。  その中でうまくバランスを取りながら勝てるチームを作っていたんですけど、これからは関西リーグに参戦するので、厳しさの中に楽しさがあるっていうことを知ってほしいですね。

 あとは、サッカーというものを通して、優勝したり、昇格したり、成功したりっていう、そういう良い思いを奈良の人たちと共有して、努力すれば何か叶うよっていうことを伝えていきたいっていう。

 

>>サッカーへの渇望

 

― 矢部さんはプロを離れてから見えたものってありますか?

 それはいっぱいありますね。まず、サッカーっていうものをすごく客観的に見られるようになりましたね。今までは自分がプレーヤーとしてどうするかということばっかりだったんですけど、サッカーっていうすごく大きな括りでものを考えるようになりましたしね。あとは指導も、子どもたちを教えたりしているんですけど、そういうところもすごく勉強になりますし。

 こういういろんなアマチュアの選手と関わって、なぜこの人たちがアマチュアで、プロ選手と違いがあるのかとか。そういうことも見えてきますしね。僕のいたトップリーグ、それこそストイコビッチ(※)ともプレーしましたし。そういうところから、こういうアンダーグラウンドなところまでを見て、その差がどこにあるのかっていうことを知っているということ。それが自分の武器かなと。トップレベルしか見ていないのはもちろんいいんですけど、トップレベルだけを見てそのまま指導者になるよりも、こういうところを見ていた方が指導者として幅があると思うし。

 僕自身まだプレーしているんですけど、まだまだ上手くなると思ってるし、もっとサッカーを勉強できると思ってるんです。何よりも、前までは契約してもらえなかったら、もう選手を辞めなきゃいけないと思っていたんですけど、 JFL とかではまだアマチュア選手がいます。僕はプロ契約だったんですけど、そういうアマチュア選手と一緒にプレーして、自分で稼ぐことができれば、契約にとらわれずにいつまでも現役でできるんや、っていうことを感じたのは、すごく自分の中でアマチュアサッカーに対しての見解を広めました。

 だから、僕自身もやはり今、自分の得意なことを仕事にできている一方で、自分もまだサッカーを追求していける環境にいるので、まだまだ現役であり続けたいなというのはありますね。

 やっぱり、仕事を選ぶかサッカーを選ぶかっていう人もいるし、家庭を選ぶかっていう人もいるし。でも、僕はそれをすべて融合した生活をしたいと思っているんです。もちろん、プロ選手でバリバリやって引退しても全然困らないっていう道の方がよかったのかもしれないですけど、僕みたいに J2 とかでしかやってないような選手とかは、なかなかそうはいかないし。ただそれでもサッカーはまだやりたいと思いますし。そういうことをケガで間が空いた時期にいろいろ考えることができたかなと。

※ストイコビッチ: 1965年3月3日、旧ユーゴスラビア生まれ。旧ユーゴスラビア代表のスター選手で、その華麗なプレースタイルから“ピクシー(妖精)”の愛称で親しまれた。94年に名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)に加入し、名古屋の躍進に貢献した。01年に引退し、引退後は史上最年少でセルビア・モンテネグロサッカー協会の会長と、セルビアの名門クラブであるレッドスター・ベオグラードの会長を歴任した後、08年に名古屋グランパスの監督に就任した。

 

―先ほどおっしゃっていた、プロ選手とアマチュア選手との差というのはどういうものなのでしょうか?

 技術の差、フィジカルの差はもちろんですが、メンタル面やサッカーに懸ける想いの差ですね。ほんのちょっとの差が大きな差になることを感じました。

 

―それはやはり、矢部さんの今までの指導経験に基づくものなのでしょうか?

 そうですね。実際に自分でプレーしてわかることもあります。その経験を奈良クラブや子どもたちにも伝えていきたいですね。

 

>>スポーツを自分たちのアイデンティティに

 

― 最後になりますが、矢部さんにとってスポーツ文化とはなんですか?

 スポーツ文化言うたら…日常で喜んだり、悲しんだりすることってそんなにないじゃないですか。まあ、年をとったり社会に出たりすると、特にそういうのは無くなってきますよね。サッカーだけでなく、スポーツっていうのはそういう喜怒哀楽を表してくれるし、より人間味のある暮らしというか、自分を解放してくれるようなものかなと思うんで、そういう喜びをほんとに地元の人らと体験したいし、体感したいですね。そして、それが自分たちの誇りというかアイデンティティみたいになるのが理想で、サッカーという媒体でみんながひとつになれるっていう。そういうことがいいかなって思っていて。

 その感動の共有というか…。僕が子どもたちにサッカーを教えているのも、サッカーというスポーツが他の生き方にも絶対関係してくる媒体やから、それを通じて何かしたいとか。そういうサッカーの良さに気付いて、それを通じてみんなで共有したいからですかね。

 もちろんそこまで深く関わらないで、ただゴール入ったって喜ぶのもオッケーやし。地域の人たちみんなで喜んで、悲しんで、泣いて、笑ってみたいなのをしたいなっていう感じですね。

 

 「僕ら奈良クラブのやり方、奈良のやり方を見つけていきたい。」と語っていた矢部さん。奈良クラブは確実に歩みを進めています。先月、奈良クラブにチアセクションが発足しました。大人のチームが「奈良クラブチアリーダー」、小学生のジュニアチームが「奈良クラブ Twinkles (トゥインクルズ)」。 1 年数ヶ月前までは夜の公園でロウソクを立てて練習していたクラブが、人工芝の練習場を提供してもらい、選手数も増え、さらにはチアチームも作って活動の幅を広げています。その裏にクラブの草創期からしてきた地道な活動があることは間違いありません。

 今季から関西リーグ 2 部で戦う奈良クラブの挑戦、矢部さんのリアル「サカつく」物語からますます目が離せません。

 

小林 遼平

 

~矢部次郎さん プロフィール~

1978 年 5 月 26 日生まれ。奈良県出身。 97 年、奈良育英高校からJ1の名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)に入団。 00 年にJ2のサガン鳥栖に移籍。 05 年にJFLのアルテ高崎に移籍。股関節痛に悩まされ、 06 年に退団し(仮)引退。同年 10 月、奈良に「ジョインサッカースクール」を設立。 07 年に国体の奈良県選抜監督に就任するなど、奈良県のサッカー環境向上に奔走する。 08 年に都南クラブに入団し現役復帰。同年 4 月に奈良クラブを立ち上げ、Jリーグ参入を目指す。現在は元日本代表の柳本啓成氏が代表を務める「 YANAGI FIELD 」のサッカースクールで、スクールディレクターとして現場指導を統括している。

 

【リンク】

奈良クラブホームページ: http://www.naraclub.jp/

矢部次郎さんのブログ: http://blog26.fc-ninoco.com/

Jリーグキャリアサポートセンターインタビュー

矢部次郎さん: http://www.j-league.or.jp/csc/report/report_yabe.html

柳本啓成さん: http://www.j-league.or.jp/csc/report/report_yanagimoto.html 

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